ミラノ大学 - Università degli studi di Milano ― 2009/08/28
*このブログは備忘録であるため、記事内容と記載日は関係ありません。
リベラルアーツ発祥の地でもあるイタリアの大学は、もともと必ずしもキャンパスを必要としなかったという。そのせいであろうか、「学び」というものに対するスタンスが、アメリカやアメリカに戦後大きな影響を受けた日本の大学とは非常に異なって感じられる。
ミラノ大学の本部は、15世紀に建てられた旧マジョーレ病院(Antico Ospedale Maggiore)、通称 la Cà Granda (大きな家)を1958年より使用している。病人を1ヶ所に集めるために使用された、中庭をいくつか持つ建物である。
この歴史的建築物が毎年春にミラノサローネの場外会場FuoriSaloneの一会場として使用されると、突然別世界が広がる。そしてその別世界で、いつもと変わらぬ学生たちの生活が営まれている。
*ミラノサローネ '09
http://www.milanosalone.jp/
*INTERNI FuoriSalone:
http://www.guidafuorisalone.com/
*Università degli studi di Milano
http://www.unimi.it/
リベラルアーツ発祥の地でもあるイタリアの大学は、もともと必ずしもキャンパスを必要としなかったという。そのせいであろうか、「学び」というものに対するスタンスが、アメリカやアメリカに戦後大きな影響を受けた日本の大学とは非常に異なって感じられる。
ミラノ大学の本部は、15世紀に建てられた旧マジョーレ病院(Antico Ospedale Maggiore)、通称 la Cà Granda (大きな家)を1958年より使用している。病人を1ヶ所に集めるために使用された、中庭をいくつか持つ建物である。
この歴史的建築物が毎年春にミラノサローネの場外会場FuoriSaloneの一会場として使用されると、突然別世界が広がる。そしてその別世界で、いつもと変わらぬ学生たちの生活が営まれている。
*ミラノサローネ '09
http://www.milanosalone.jp/
*INTERNI FuoriSalone:
http://www.guidafuorisalone.com/
*Università degli studi di Milano
http://www.unimi.it/
8月6日 ― 2009/08/28
翌日に原爆記念日を控えた8月5日。イタリアの国営放送RAIで、広島原爆についての番組*を放送していた。
*記録をしておらず、タイトル不明
かつて私が滞在した、投下国であるアメリカでは「原爆投下は戦争終結を早めた」という公式見解であり、通常マスコミで触れられることがないテーマである。当時の同盟国イタリアではどのように扱われているのか非常に興味深く見た。
途中から見たので番組の全体像はわからないが、原爆をライフワークのテーマとしている芸術家たちをとりあげ、また原爆投下直後の映像を伝えていた。
被爆者の治療シーンでは焼け爛れた背中などにモザイクがかかっていた。日本でも原爆以外の事故・事件に関しては同様の映像処理をする。原爆に関する放送ではそうしているところを見たことがない。日本における「原爆」というテーマの特殊性であろう。
また廃墟となった町を子供の手を引いて歩く母親の姿等の映像が、クラッシックの音楽(ラベル「亡き王女のためのパバーヌ」だったか?)やビートルズの「イマジン」をBGMに、スローモーションで流れた。このような脚色も、日本以外で原爆に関する映像を見たことがない私にとっては目新しい。
イタリアでは"悲劇"を昇華した形で受け止める一方、日本ではあるがままの現状として伝えていこうという思いが強いのだろうか。
「ヒロシマ」について語れるほどの知識も経験もないが、現在私の本籍地は広島にある。また義母は、大阪から疎開した広島で原爆の閃光を見た人でもある。8月6日、「日本における原爆投下日は、当時の敵の行為を非難する日ではなく、死者の霊の平安と世界の平和を祈る日である」とイタリア人に伝える。
一緒にいた若いタイ人は「ゲンバク?『パールハーバー』という映画を見たけれど、同じ出来事?」と言って、第2次世界大戦の成り行きとゲンバクについての知識がある40代のイタリア人をあわてさせた。”超局所的国家紛争”を恐れたらしい。
アメリカ政治学が専門である大学時代の恩師の言葉、「戦争は善と悪の戦いではない。価値観と価値観の戦いだ。」との言葉をベースに、二つの出来事について日米それぞれの見解を私なりに説明した。この恩師は、キング牧師の著書を訳した一人である。
*記録をしておらず、タイトル不明
かつて私が滞在した、投下国であるアメリカでは「原爆投下は戦争終結を早めた」という公式見解であり、通常マスコミで触れられることがないテーマである。当時の同盟国イタリアではどのように扱われているのか非常に興味深く見た。
途中から見たので番組の全体像はわからないが、原爆をライフワークのテーマとしている芸術家たちをとりあげ、また原爆投下直後の映像を伝えていた。
被爆者の治療シーンでは焼け爛れた背中などにモザイクがかかっていた。日本でも原爆以外の事故・事件に関しては同様の映像処理をする。原爆に関する放送ではそうしているところを見たことがない。日本における「原爆」というテーマの特殊性であろう。
また廃墟となった町を子供の手を引いて歩く母親の姿等の映像が、クラッシックの音楽(ラベル「亡き王女のためのパバーヌ」だったか?)やビートルズの「イマジン」をBGMに、スローモーションで流れた。このような脚色も、日本以外で原爆に関する映像を見たことがない私にとっては目新しい。
イタリアでは"悲劇"を昇華した形で受け止める一方、日本ではあるがままの現状として伝えていこうという思いが強いのだろうか。
「ヒロシマ」について語れるほどの知識も経験もないが、現在私の本籍地は広島にある。また義母は、大阪から疎開した広島で原爆の閃光を見た人でもある。8月6日、「日本における原爆投下日は、当時の敵の行為を非難する日ではなく、死者の霊の平安と世界の平和を祈る日である」とイタリア人に伝える。
一緒にいた若いタイ人は「ゲンバク?『パールハーバー』という映画を見たけれど、同じ出来事?」と言って、第2次世界大戦の成り行きとゲンバクについての知識がある40代のイタリア人をあわてさせた。”超局所的国家紛争”を恐れたらしい。
アメリカ政治学が専門である大学時代の恩師の言葉、「戦争は善と悪の戦いではない。価値観と価値観の戦いだ。」との言葉をベースに、二つの出来事について日米それぞれの見解を私なりに説明した。この恩師は、キング牧師の著書を訳した一人である。
ピサ(メディチ家縁のものを中心に):ピサ大学 ― 2009/08/29
アルノ川の流れが堆積によって変わり、海岸線が10キロ以上も後退してしまっているためかつての海運港の面影はないが、かつてはイタリア四大海洋国家のひとつであったピサ。
十字軍の時代を絶頂期として一時衰退した後、都市の復興に当たったのがメディチ家である。
斜塔で有名な奇跡の広場とその周辺についてはガイドブック等に様々な解説が出ているので、それ以外の場所について。
ピサ大学:
ガリレオ・ガリレイが学び、また一時教鞭もとっていた大学。12世紀まで存在した中世の大学をメディチ家が一旦閉鎖して優秀な教授陣を集め再開、発展・拡大させたサピエンツァ大学ピサ校が前身であり、現在も理数系の名門校として名を馳せる。マキャベリの「君主論」で有名なチェーザレ・ボルジアも、ローマで枢機卿を務める父(後の教皇アレクサンデル6世)の元を離れて、斜塔近くに今も残る「大司教邸」に滞在しながらこの大学で学位を取得、またトレビの泉を造った教皇クレメンス12世も輩出している。この大学はあまりに自由主義的かつ発展的だったため、フランス統治時代にその教育を恐れていくつかの学部が廃止されたほどであったという。正面の建築は1900年代ものながら、中庭は1500年代の回廊が残る。今回は夏期休暇中のため中庭に入れず残念。
*l'Università di Pisa
http://www.unipi.it
十字軍の時代を絶頂期として一時衰退した後、都市の復興に当たったのがメディチ家である。
斜塔で有名な奇跡の広場とその周辺についてはガイドブック等に様々な解説が出ているので、それ以外の場所について。
ピサ大学:
ガリレオ・ガリレイが学び、また一時教鞭もとっていた大学。12世紀まで存在した中世の大学をメディチ家が一旦閉鎖して優秀な教授陣を集め再開、発展・拡大させたサピエンツァ大学ピサ校が前身であり、現在も理数系の名門校として名を馳せる。マキャベリの「君主論」で有名なチェーザレ・ボルジアも、ローマで枢機卿を務める父(後の教皇アレクサンデル6世)の元を離れて、斜塔近くに今も残る「大司教邸」に滞在しながらこの大学で学位を取得、またトレビの泉を造った教皇クレメンス12世も輩出している。この大学はあまりに自由主義的かつ発展的だったため、フランス統治時代にその教育を恐れていくつかの学部が廃止されたほどであったという。正面の建築は1900年代ものながら、中庭は1500年代の回廊が残る。今回は夏期休暇中のため中庭に入れず残念。
*l'Università di Pisa
http://www.unipi.it
ピサ(メディチ家縁のものを中心に):宮殿、カヴァリエーリ広場 ― 2009/08/29
カヴァリエーリ広場:
第2次世界大戦で繰り返し爆撃を受けたピサの町では古い建物の多くが破壊されているが、この広場のあたりは1500~1600年代の建物が多く残る。1500年当時はアンツィアーニ広場と呼ばれていたこの広場は、かつて政治の中心であった。海洋国家のピサを手中にしたコジモ・メディチは、海賊に対抗するためにこの地にサン・ステファノ騎士団を設立、そのゆかりの宮殿や教会が広場を囲う。
フランス統治時代にÉcole Normale Supérieure de Paris分校として作られた'La Scuola Normale Superiore'も、この広場のPalazzo della Carovanaに本部を置く。
今回特に見たかったのが、オロロージオ宮(写真)。16世紀に広場の大改築があった際に、三つの塔をつなげてこの宮が作られたため今は見ることができないが、この場所にはかつて「飢餓の塔」と呼ばれる塔がそびえていた。13世紀、政争に破れたウゴリーノ伯がその子息や孫とともに、食料さえも絶たれて幽閉された場所である。伯がひとり生き延び復讐することを願って、子や孫は自らの身体を彼に献じたが、肉親の血肉を喰らって生きながらえつつも、最後には伯も餓死したという。ダンテは「神曲」地獄篇にてこの出来事を記述、悲劇の記憶をとどめている。宮の壁にはこのいわくが記してあるプレートがしっかりと埋め込まれていた。
ちなみにフィレンツェのシニョーリア広場には、噴水の近くの地面に金属製のプレートがはめ込まれている。フィレンツェ市民のメディチ家に対する反発をあおり、メディチ家追放の後には町を牛耳ったが、その厳しい戒律で市民の反発をかったドミニコ派の怪僧、サヴォナローラが異端の罪で火刑に処された場所である。このような負の歴史も町のそこここに刻んである。
メディチ家宮殿:
1400年代からメディチ家所有。貴族ではなく商家であるメディチ家では市民のねたみを恐れたといい、フィレンツェでもそうだが宮殿は質素な外観(というより当時の標準的建築様式か)。現在は県庁として使用されている。
*Rete Civica Pisana:
http://www.comune.pisa.it
第2次世界大戦で繰り返し爆撃を受けたピサの町では古い建物の多くが破壊されているが、この広場のあたりは1500~1600年代の建物が多く残る。1500年当時はアンツィアーニ広場と呼ばれていたこの広場は、かつて政治の中心であった。海洋国家のピサを手中にしたコジモ・メディチは、海賊に対抗するためにこの地にサン・ステファノ騎士団を設立、そのゆかりの宮殿や教会が広場を囲う。
フランス統治時代にÉcole Normale Supérieure de Paris分校として作られた'La Scuola Normale Superiore'も、この広場のPalazzo della Carovanaに本部を置く。
今回特に見たかったのが、オロロージオ宮(写真)。16世紀に広場の大改築があった際に、三つの塔をつなげてこの宮が作られたため今は見ることができないが、この場所にはかつて「飢餓の塔」と呼ばれる塔がそびえていた。13世紀、政争に破れたウゴリーノ伯がその子息や孫とともに、食料さえも絶たれて幽閉された場所である。伯がひとり生き延び復讐することを願って、子や孫は自らの身体を彼に献じたが、肉親の血肉を喰らって生きながらえつつも、最後には伯も餓死したという。ダンテは「神曲」地獄篇にてこの出来事を記述、悲劇の記憶をとどめている。宮の壁にはこのいわくが記してあるプレートがしっかりと埋め込まれていた。
ちなみにフィレンツェのシニョーリア広場には、噴水の近くの地面に金属製のプレートがはめ込まれている。フィレンツェ市民のメディチ家に対する反発をあおり、メディチ家追放の後には町を牛耳ったが、その厳しい戒律で市民の反発をかったドミニコ派の怪僧、サヴォナローラが異端の罪で火刑に処された場所である。このような負の歴史も町のそこここに刻んである。
メディチ家宮殿:
1400年代からメディチ家所有。貴族ではなく商家であるメディチ家では市民のねたみを恐れたといい、フィレンツェでもそうだが宮殿は質素な外観(というより当時の標準的建築様式か)。現在は県庁として使用されている。
*Rete Civica Pisana:
http://www.comune.pisa.it
ピサ(メディチ家縁のものを中心に):ガレー船建造所(旧要塞) ― 2009/08/29
ガレー船建造所:
ステファノ騎士団にガレー船を提供するためにメディチ家によって作られた造船所。町外れのこのあたりまで来ると人通りもあまりないが、近くにはメディチ家開設の植物園の遺跡もあった。
この植物園はヨーロッパ最古の大学付属植物園だが造船所拡張のため移転し、移転先が城壁沿いで日当たりが悪く植物の生育に適さなかっため再度移転して、現在は町の中心部にある。
アルノ川の南岸(現在FSの駅があるほう)は中心部である北岸よりも低地で、川の氾濫のたびに水浸しになったために、当時は外国人労働者や貧困層が暮らすスラム街であった。北岸のはずれ、川に面した場所に作られた造船所は、貧民に対して仕事と住居を提供する役割も果たしていた。現在も実際に駅から川に向かうと、いかに高度差があるかがよくわかる。
ステファノ騎士団にガレー船を提供するためにメディチ家によって作られた造船所。町外れのこのあたりまで来ると人通りもあまりないが、近くにはメディチ家開設の植物園の遺跡もあった。
この植物園はヨーロッパ最古の大学付属植物園だが造船所拡張のため移転し、移転先が城壁沿いで日当たりが悪く植物の生育に適さなかっため再度移転して、現在は町の中心部にある。
アルノ川の南岸(現在FSの駅があるほう)は中心部である北岸よりも低地で、川の氾濫のたびに水浸しになったために、当時は外国人労働者や貧困層が暮らすスラム街であった。北岸のはずれ、川に面した場所に作られた造船所は、貧民に対して仕事と住居を提供する役割も果たしていた。現在も実際に駅から川に向かうと、いかに高度差があるかがよくわかる。
フィレンツェ 大洪水 - L'alluvione di Firenze ― 2009/08/30
フィレンツェで泊まったホテルの廊下には、フィレンツェの歴史を語る写真が各階ごとに時代別に展示してあった。泊まった階は第二次世界大戦の時代のもの。もうワンフロア下は1966年のフィレンツェ大洪水に関するものだった。恥ずかしながらこの出来事についてほとんど知らず、うす暗いホテルの廊下で、被害の状況やその復旧作業の様子を伝える貴重な写真の数々を拝見した。
帰宅後、偶然イタリアの国営放送RAIでこの復旧作業に関するドキュメンタリーを放映*しており、そのときの映像や大量の貴重な美術品や書籍、資料の修復に関してのボランティア活動の様子を詳しく見ることができた。この修復作業に当たった人たちは泥の中から美術品を手作業で拾い出し、「Angeli del fango(泥の天使たち)」と呼ばれていた。
*記録していなかったため、タイトル、放映日時不明。
Comune di Firenzeより:
http://associazioni.comune.fi.it/cofipro/GALLERIA%20WEB%20ALLUVIONE/
帰宅後、偶然イタリアの国営放送RAIでこの復旧作業に関するドキュメンタリーを放映*しており、そのときの映像や大量の貴重な美術品や書籍、資料の修復に関してのボランティア活動の様子を詳しく見ることができた。この修復作業に当たった人たちは泥の中から美術品を手作業で拾い出し、「Angeli del fango(泥の天使たち)」と呼ばれていた。
*記録していなかったため、タイトル、放映日時不明。
Comune di Firenzeより:
http://associazioni.comune.fi.it/cofipro/GALLERIA%20WEB%20ALLUVIONE/
マフィア - Gli Ultimi Padrini ― 2009/08/31
イタリア国政放送の番組、La Grande Storiaより"Gli Ultimi Padrini"を見る。仮に「最後のドンたち」と訳す。
大学時代に禁酒法を卒論のテーマに選んでいたが、使った資料はアメリカ側から見たものだけだった。この番組で改めてアメリカマフィアのドンたちとイタリアとの関連を見ることができた。ラッキー・ルチアーノを中心に、映画「ゴッドファーザー」の中心人物ヴィトー・コルレオーネのモデルといわれるジョゼフ・ボナンノやヴィト・ジェノヴェーゼ等の主だったドンたちについての番組。アメリカ軍とマフィアとの”つながり”等も含めて取り上げられていた。ピザコネクション(ピザパーラーを通しての麻薬の売買)が、日本にもあったことをはじめて知った。
8月28日RAI3 La Grande Storia"Gli Ultimi Padrini":
http://www.lagrandestoria.rai.it/category/0,1067207,1067034--572,00.html
大学時代に禁酒法を卒論のテーマに選んでいたが、使った資料はアメリカ側から見たものだけだった。この番組で改めてアメリカマフィアのドンたちとイタリアとの関連を見ることができた。ラッキー・ルチアーノを中心に、映画「ゴッドファーザー」の中心人物ヴィトー・コルレオーネのモデルといわれるジョゼフ・ボナンノやヴィト・ジェノヴェーゼ等の主だったドンたちについての番組。アメリカ軍とマフィアとの”つながり”等も含めて取り上げられていた。ピザコネクション(ピザパーラーを通しての麻薬の売買)が、日本にもあったことをはじめて知った。
8月28日RAI3 La Grande Storia"Gli Ultimi Padrini":
http://www.lagrandestoria.rai.it/category/0,1067207,1067034--572,00.html
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