暑さ対策@ミラノ:Che' Caldo!!@Milano2010/07/07

今年は熱波で、北イタリアでも毎日のように30度を越し、都市によっては40度近い気温が続いている。テレビでは警報を出し、子供とお年よりは13時から18時は外出しないようにと呼びかけている。

le tappallera

もともと30度を越すことがほとんどない地域であったので、昨今の温暖化で空調が徐々に普及してきたという程度。また、何世紀も前の建物を使っていることが珍しくないイタリアでは、建物に穴を開けられない、あるいは構造上設置が難しい、電気の配線や容量の問題で空調をつけられないケースもある。例えば今住んでいる建物は、防犯上窓を開けっぱなしに出来ない1階(こちらでいうPiano terra)と、病人等を抱えている等で許可を得た家以外は、建物に穴を開けるエアコンの設置が禁止されている。

こちらにきて、最初違和感があったのが、暑い日に、特に日が当たっている窓は雨戸を閉め切っている家が多いことだ。古い建物では木の、新しいものではシャッター状の雨戸:le tappalleraが、各窓に防犯もかねて設置されているが、それを閉めて涼をとっている。先日訪問した友人の家でも、緯度が高く9時過ぎまで明るいため日本と比べて遅い8時過ぎの夕食時にもまだ太陽がさんさんと照っている中、「今日は暑いから、tappalleraを閉めましょう」と早速閉めていた。

こちらの建物は石造りで断熱性が高く、また空気が乾燥しているため、窓を閉めて外気を入れず、雨戸を閉めて直射日光をさえぎることが一番涼しいとのこと。実際暑い外から、アパートメントの入り口のドアを開けてホールに入ると、閉鎖空間なのにひんやりと感じる。日本のように「風通しをよく」と、窓を開けると外の熱気が入ってきてしまい、かえって暑いのだ。最初は締め切った暗い部屋に入ると反射的に蒸し暑いように感じたが、慣れてくるとちゃんと涼しいことがわかる。ただ、今年はやや蒸し暑く、日本式のほうが涼しく感じることもあるから難しい。

 結局、閉塞感がいやなこともあり、窓を開けて扇風機でこの暑さをやり過ごしている。マルタで、昔は窓の近くに水が入った素焼きの壷をぶら下げて室内の温度を下げていたと説明があったのを思い出し、窓の近くの風の通り道に洗濯物を干してみると、かなり楽になる。

テラス席の「冷房」

レストランやカフェでは、外のテラス席のほうが室内より料金が高いこともあるほど、日照時間が短い冬に備えて太陽を浴びたがるお国柄。ここでも、外の席では霧状に水を噴射したものに扇風機を当て、気化熱を利用して少しでも涼しくしようとしている。冷房設備がない、地下鉄の駅もしかりである。

地下鉄駅の「冷房」

空調機の販売は、日本の企業が活躍しているため、日本と同じフレーズを使ったテレビコマーシャルをやっている。「この、涼しさや湿気のなさを表現した日本語の語感がイタリア人にも分かるのだろうか?」と思いながらも、懐かしく感じるとともに、ふとどの国にいるのかわからなくなる。

マフィアとシチリア:La Mafia e Sicilia2010/07/19

シチリア=マフィアというのはあまりに短絡的なようで、また歴史的、現実的なしがらみがあるシチリア人にとっては不本意なイメージであることを承知している。が、こちらに来るまでイタリアに縁のなかった私にとって、わずかなイタリアとの間接的結びつきが、大学時代に禁酒法とアメリカンマフィアについて卒論で取り上げたことであった。以前テレビでマフィアについての番組を見た際にも感じたが、かつてアメリカの視点で見ていたものを、改めてイタリアからの視点で見直す機会となった。

さて、記憶頼りで若干せりふは異なると思うが、どの話だったか『刑事コロンボ』の冒頭でこんなシーンがあった。すでに多くの警官が押し寄せている殺人現場に駆けつけたコロンボに、そのアパートに住むイタリア系の女性が訴える。「私の家に泥棒が入ったの!警察がこんなに来ているから捜査を頼んでいるのに、この人たちはそれどころじゃないって。イタリア移民なんかが泥棒にあったって、そんなのはどうでもいいとでもいわんばかりよ!あなたは同じイタリア系だから、助けてくれるでしょ?」コロンボは「わかりました。今いるのは殺人課の人間なんです。すぐに盗難の係をよこします。必ず捜査するとお約束します。」と答え、殺人事件の捜査に入る。

「コロンボ」は、ジェノバ出身といわれる大航海時代の立役者、「コロンブス」(日本では英語式の読み方のこちらで知られる)と同じ名前である。コロンボが優秀であるのに、その能力をごまかすかのようなさえない風体で、どこか警察組織と一歩距離をおいているのは、アメリカ社会において、WASP(白人、アングロサクソン、プロテスタント)でない、イタリア系の彼に官僚組織での出世の道が閉ざされていることを暗示しているのである。

アメリカンマフィアの母体は、白人社会の中で底辺にあった新移民であるイタリア人の、自衛組織として発達したものといわれる。アメリカにおける1920年代の禁酒法時代、ちょうどイタリアでは、ムッソリーニがファシスト政権を築きつつあった。独裁者である自分の言うことを聞かない、あるいは一地方に過ぎないシチリアで、誰よりも権力を持つべきムッソリーニ以上の力を持つシチリアマフィアに、彼は怒り狂い、徹底的に締め上げる。シチリアを追われたマフィアはアメリカに逃亡、それまで米国政府の大きな税源であった酒が、禁酒法によって豊富な資金源になる得ることに気付く。禁酒法の盲点は、購入した人に対する罰則はないことだ。そこで密造酒を組織的に製造・輸送・販売、つまり法に触れる部分を引き受けて、「民間人」に購入させる。このような方法で資金調達に利用したのみならず、その過程を通じてアメリカのマフィアを組織として完成されたものに育て上げたのである。このように成長したアメリカンマフィアが、のちにはムッソリーニにより衰退したシチリアマフィアを再興するという、逆輸入現象も起きている。

地中海の要所にあり、様々な「外国」権力に圧制を受けてきたシチリアでは、もともと支配者や政府に対する根強い不信感があった。横暴な支配者の搾取から身を守るため、互助組織が発達していく。また、シチリアの地主は、当初ナポリやせいぜい近くても大都市のパレルモに住んでいることが多い。地中海で一番大きい島であるシチリアの広大な土地の耕作と管理は、一部の管理人に任されていた。彼らが、さらに下の使用人たちに土地を守るという条件で上納金を納めさせても、地主ははるかかなたであり、自衛の思想が発達しているこの地ではごく自然の成り行きとしてこの方法が普及していく。このように「自衛」名目で組織化された集団が、マフィアである。そのためマフィアの出身地は、もともとはシチリア等の大都市ではなく、周囲に何もないような、広大な農地の真ん中の小さな村が多い。

コルレオーネ村への道

映画『ゴッドファーザー』で、家族を殺された子供が単身で、そして身一つでアメリカに渡り、出身地の名前が誤って苗字として登録され、後のドンの名となったことで有名なコルレオーネCorleone村 。この村は、実際に数多くの大物マフィアを送り出している。本当にこの道でいいのかと不安になるほど、いけどもいけども周囲には地平線まで農地以外何もない。そのうち山の上に町が見えてくる、それがコルレオーネ村であった。が、マフィアで有名になることは、この村にとって不本意であり、映画でそのことが世界的に知られてしまった後、一時は村の名前を変えようという動きさえもあったという。どうやらツアーもあるようだが、訪問した日は外国人は他におらず、村を歩くと、周囲の、車の運転手からさえも事故が起こらないか心配になるほどの視線を浴びた。この立地条件を直接見て、村の雰囲気を感じたことで十分だと、この村を後にする。
コルレオーネ村にて

その日宿泊した、パレルモ近くの海岸沿いにあるカステッランマーレ・デル・ゴルフォCastellammare del Golfo は、やはりアメリカンマフィアの出身地として有名である。禁酒法時代の1929年、ニューヨークで起きた組織間の紛争は出身者の多さからカステランマレーゼ戦争(The Castellammarese War)と呼ばれた。
カステッランマーレ・デル・ゴルフォ中心部への入り口

ミラノへ帰ろうと空港に向かっているとき、高速の入り口で警官に止められた。10分だけ待てとのことだが、理由はいわない。数分後に封鎖は解除され無事に空港に着く。翌日にシチリア出身の人に聞くと、以前、空港に向かう反マフィアの判事を数百キロの爆薬を使って爆殺した事件があり、市民が巻き込まれないよう、重要人物が高速を通過する際には、他の車が入らないようにしているという。パレルモの空港名、AEROPORTO DI PALERMO "FALCONE E BORSELLINO"は、マフィア撲滅に尽力したその判事の名前がつけられている。