新年@マルタ: Is-sena it-tajba! ― 2010/01/06

今年の年明けは、今回3回目の訪問となる地中海の小さな島国、マルタ共和国のゴゾ島で迎えた。初日の出を見るためにRabat(英語名:Victoria)にある山の上の城塞都市に上ると、城砦の入り口の教会にはすでに多くの人が新年礼拝に訪れていた。
人口40万人、淡路島の半分ほどしかない面積のこの国は、ビザンチン、アラブ、ノルマン、騎士団、フランス、英国などなど、数え切れないほど民族や国、組織の統治・占領・支配にあい続け、一時は無人化したり、島民のほとんどが奴隷として売買された時代さえあった。その複雑な歴史の中で他文化を吸収しながら、しかしそれに飲み込まれることなく、アラビアとヨーロッパが交錯する独特かつ独自の文化と言語を維持している。
英連邦の一員として英語も公用語であり、多くの国民が英語を流暢に話すが、あえてマルタ語の単語を覚えて挨拶してみると「マルタ語をわかるの!」と笑顔になり、さらに他の単語を教えてくれる。紀元前数千年前から文明が発展していた自国に対する、誇りの高い国民性である。
宗教的には、マルタ騎士団(聖ヨハネ騎士団)の統治の影響で、ローマンカトリックである。町のあちこちには以前ミラノのクリスマスで紹介した、キリスト生誕の様子を人形で再現したものが飾られている。ちなみにマルタ騎士団の公用語がイタリア語であったため、アラビア語と同じセム語族のマルタ語であるが、イタリア語の影響も多く見られ、特にキリスト教関係の用語はイタリア語が由来のものが多くを占める。そのため、イタリア語でPresepe/Presepioと呼ばれるこれらの人形展示は、マルタ語ではPresepjuという。
ゴゾ島のGhajnsielemという小さな集落では、その外部に広がる荒野を利用してキリスト生誕時のベツレヘムの様子を町ごと再現した"Bethlehem f' Ghajnsielem"というイベントが開催されていた。幹線道路から小道を入るとそこに水車小屋が見えてきて、そこここのちいさな小屋では鍛冶屋、パン屋、大工などが黙々と働いている。家畜小屋にはマリアとヨハネが赤子のキリストをあやしている姿もある。地元のボランティアが2000年前の服装を再現した衣装に身を包み、当時の町の生活の様子を見せてくれているのだ。夜間に訪問したが、もともとあまり外灯のないゴゾ島、篝火の中に浮かび上がるこの荒野の中の小さな"町"は、まるで2000年前の世界にするりと入り込んでしまったかのような幻想的な世界で、忘れられない光景となった。

【TV】SHOGUN, il Grande Samurai ― 2010/01/07
*原語で見ているため、内容を誤解している可能性があります。ご了承ください。
イタリアの国営放送RAI Unoの"SuperQuark" という番組で、年末年始にかけて“nel segno del comando” (指揮官の軌跡:拙訳)という3回シリーズの特番が放映された。そのうち1回を使って徳川家康が取り上げられた。(1月5日20:10-23:10放送分)
番組前半は、関が原の戦いを中心とした家康の生涯と、当時の日本における将軍と天皇との関係や侍制度、刀や鎧兜の持つ意味を日本での現地ロケをはさみながら解説。後半では急激な技術発展を遂げた日本の中でどのように伝統が生きているか、東洋学を専門とする教授の意見をまじえながら、実例として皇室制度、剣道等の武術、歌舞伎などが取り上げられた。単なる「侍」の解説番組ではなく、どのような文化・思想が「将軍」「侍」という制度の背景にあるか、侍の精神が現代の日本にどのように生きているか、日本自体の解説番組である。
10-20代の若い世代の刀鍛冶や歌舞伎役者、舞妓たちを短い時間ながら丁寧に追い「現代の他の同世代の若者とはまるで異なる生活を強いられることになることをどう感じるか」というインタビューが行われていたのが興味を惹いた。彼らが、親や先輩の姿を見ながら伝統に対する強い誇りをはぐくみ、それを継承していくことに意欲を持って取り組んでいる姿がしっかりと映し出される番組の姿勢に、家業や職人技が重視され、敬意の対象となるイタリアの文化を感じる。
以前アメリカ人に、伝統芸能を誇りを持って継承する、ある日本の若者の話をした際には、「子供の頃から『親のやっている伝統芸能は価値あることだ』と洗脳されているから、『誇りに思う』などというのだろう。親の仕事の都合で青春を犠牲にされ、職業選択の自由もない人生を強いられるのか。」との否定的な意見であった。これがアメリカ人一般の意見とは簡単にいえないが、上昇と変化が高く評価され、なによりも自由を尊重する風土のアメリカで、このような視点の番組を製作することは、少々勇気がいることかもしれない。
番組は、「侍の忠誠心は日本人の勤勉さに今も残る。これは会社や社会に対象をかえた忠誠だ」としながらも、現在の日本が経済的にもまた伝統という面からも危機的状況にあると警告する。伝統があちこちに様々な形で根付いている日本の中で、それらに背を向けるかのように西洋化し、経済発展至上の価値観で育った都会の若者の姿を映し出しながら、今後の日本像について、次のように締めくくられた。
「若者が問題なのではない、むしろ彼らが希望である。彼らがその柔軟性で危機的状況を乗り越え、これからの日本を支えていく。日本は今後、世界のモデルケースとして評価される発展を遂げるであろう」
マルタのバス:The Buses and Busmen in Malta ― 2010/01/12

マルタでは1920年から公共交通機関として本格的にバスが使用されているが、イギリス等からその車体のほとんどを輸入し、エンジンを修理・調整、シャシーだけ利用してマルタで作った車体をかぶせて使ってきた。鉄道が走っていない*、また舗装されていない道も多い小さな島国を、例えば輝くほどに磨き上げられた40年前のバスが今も健在で走っている。すっかり少なくなったもののボンネットバスも現役で走り回っているし、エンジンルームの箱が運転席の横に鎮座しているバスも当たり前に見ることができる。
一台一台が異なる顔を持つ車体の多様さのみならず、車内は運転者各人の趣味をあらわすようにさらに個性豊かに飾られている。これはほとんどのバスがバス会社のものではなく、運転手個人が所有しているものであるからだ。仕事の相棒として大切に手入れをしながら乗り回し、誰かが引退すると、その知人がその車体を譲り受けながら、古い車をずっと使い続けるのである。

マルタで使用されているバスとその歴史を紹介した書籍"The Malta Buses"が、そこで語られるバスのストーリーについて、バスの所有者である運転手の「個人とその家族のストーリーである」としているように、一台一台の車に、運転手の深い愛情と彼の人生を感じることができる。この本を買ったときのこと、店員は「マルタのバスが好きなの?とてもlovelyでしょ。でもこういうよさはもうなくなってしまうから、今のうちよく見ておいてね」とそっと遠くを見る目で、まるで自分に言い聞かせるかのように語った。
2004年5月にマルタがEUに加盟、EU加盟国間の車両使用に関する規定により、基準を満たさない古いバスは使用を認められない。観光用のみならず地方では今も日常の足として使われている馬車が行きかう道をのんびりと走る、これら個性豊かなバスたちも遠からず姿を消す運命にある。
*1883-1931年の間、Valetta-Rabat間を鉄道が走っていた。現在、Valetta駅のトンネル跡は、正門右手に洗車場としてその痕跡を残し、Rabat駅跡は、現在ビザレストランとして使用されている。
(参考文献)
"The Malta Buses" Joseph Bonnici & Michael Cessar,1989 (自費出版)
"The Malta Railways" Joseph Bonnici & Michael Cessar,1987 (自費出版)
「バスの王国 マルタ」 宮崎紘一他 (楽天舎書房)
*1883-1931年の間、Valetta-Rabat間を鉄道が走っていた。現在、Valetta駅のトンネル跡は、正門右手に洗車場としてその痕跡を残し、Rabat駅跡は、現在ビザレストランとして使用されている。
(参考文献)
"The Malta Buses" Joseph Bonnici & Michael Cessar,1989 (自費出版)
"The Malta Railways" Joseph Bonnici & Michael Cessar,1987 (自費出版)
「バスの王国 マルタ」 宮崎紘一他 (楽天舎書房)
Yayoi Kusama @ Milano ― 2010/01/22
美術に造詣の深い友人に「今、日本人アーティストの素晴らしい作品展を現代美術館でやっている。空間や光を自在に使ったもの。日本人のあなたは是非見に行くべきだ。」と薦められた。すぐに「草間彌生でしょう?」と答える。
Padiglione d'arte Contemporaneaで行われている"I want to live forever" のことである。毎回足を運んでいる横浜トリエンナーレにも出品していた彼女の作品は、日本でも何度か見ていた。今回も町で案内を見て、行こうと思いながらもあわただしさにまぎれてまだ行っていなかった。翌日、丁度近くに行く用があり、迷わず会場に入る。
会場では、中学生から高校生の生徒のグループが「彼女はイタリアの現代アートに大きな影響を与えている」という学芸員の説明に熱心に聞き入り、質問を投げかけていた。ミラノの中心街のこの美術館には平日の昼前に行ったが、丁度私が帰るのと入れ替わりに次々と近隣で働く人たちが訪れていた。日本に比べて長い昼休みを利用してきているのだろう。
会場では、中学生から高校生の生徒のグループが「彼女はイタリアの現代アートに大きな影響を与えている」という学芸員の説明に熱心に聞き入り、質問を投げかけていた。ミラノの中心街のこの美術館には平日の昼前に行ったが、丁度私が帰るのと入れ替わりに次々と近隣で働く人たちが訪れていた。日本に比べて長い昼休みを利用してきているのだろう。
今回展示されているミラーボールを大量に並べた作品"Narcissus Garden"は、もともと1966年の第33回ベネチアビエンナーレに出品されたもの。彼女は着物姿でその場に立ち、その”ボール”を「まるで屋台でひとすくいのアイスをほいほいと売るように」*ひとつ1200リラで売ろうとしたが、芸術界の権威を破壊する行動として開催側から禁止された。その行動も、そしておそらくはその行動に対するこういった反応も、彼女にとっては作品の構成要素であったのであろう。そして当時、「彼女の作品は、センセーションとともにスキャンダルを巻き起こした」*のである。
*会場の説明より。
*会場の説明より。
彼女の独特の世界が周囲になじみ、かつて日本で見たことのある作品も、先般より妙にリラックスして鑑賞した。彼女の人生、アート活動を映像化したものも適切に展示されており、改めて彼女自身についても知ることができた。
「現代アートは、個人的には受け入れられないものが多く、普段はあまり好きでないが、これは面白かった。」と、友人は冒頭の言葉に続けた。特に"aftermath of Obliteration"という作品は、万華鏡のように内部を鏡で囲み、そこに小さな明かりをたくさんぶら下げた部屋に鑑賞者が入るというもの。無数に増殖された小さな光たちに囲まれてまるで宇宙を漂っているかのように見えて、実は狭い「箱」の中にいる現実。が、逆にその「箱」に入ることで、無限の世界に足を踏み入れる感覚になるのであろう、「小学生の息子を連れて行ったが、この作品はとても気に入ったらしく、『もう一回入る!もう一回!』となかなか帰れなくて大変だった」とのこと。
ブレラ美術館等でも、小学生、時には幼稚園ほどにしか見えない子供のグループが、並み居る芸術作品を前に学芸員と盛んに意見のやり取りをしていたのを思い出した。彼らは、小さい頃から当たり前のように作品を主体的に”楽しむ”ことになじんでいる。
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